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浦和地方裁判所 昭和62年(わ)1335号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、国選弁護人に支給した分の二分の一並びに証人A及び同Bに各支給した分は、これを被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六二年一〇月一七日午前一時過ぎ頃、友人のBを自己所有の普通乗用自動車の助手席に乗せ、同車を運転して外出した際、間もなく、埼玉県浦和市内の路上で、傘を振りながら合図してきた若い女性の二人連れ(A〈当時一九歳〉及びその友人のC)が誘いに応じて乗車してきたばかりでなく、その後、Cを自宅へ送り届けて下車させたのちも、後部座席に座ったAが被告人らの誘いに乗って長時間のドライブに応じたところから、もしかしたら同女が性交の求めに応ずるのではないかと考え、同日午前三時三〇分頃、同県川口市大字差間一二五三番地先見沼用水脇空地に車を停め、一旦Bとともに降車したあと単身後部座席の左側ドアから乗り込み、後部左側の座席に座っていた同女を車内に押し倒して性交しようとした。しかるに、被告人は、同女が抵抗して容易に倒れないため、ひとまず同女の前を通り抜けてその右側に座を占めたのち、この上は、暴力を用いてでも同女を自己の意に従わせようと同女強姦の意を決し、左腕を同女の肩ないし首に廻して抱き寄せるとともに、嫌がる同女の背部や腹部を右手拳で殴打するなどの暴行を加え、また、「静かにしろ、殺されたいのか。」等と脅迫し、その抵抗を著しく困難にした上、強いて同女を姦淫しようとしたが、同女が容易に姦淫に応ぜず、狭い車内で姦淫を強行するのが事実上困難であったことからこれをあきらめたため、その目的を遂げなかったものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(自白調書の証拠能力について)

一  緒説

当裁判所は、当公判廷において取り調べずみの被告人の捜査官に対する供述調書(司法警察員に対する昭和六二年一二月九日付け供述調書〈以下、「一二月九日付け員面」という。その他の書面もこの例による。〉、同月一四日付け検面、同月一七日付け検面。以上は、やや不完全ながら、犯行の自白を内容とするものであるから、以下、一括して「自白調書」ということとする。)の証拠能力を再検討した結果、右各供述調書は、以下の理由により任意性を欠き、証拠能力を有しないと考えるに至ったので、これを証拠から排除することとする。なお、右各供述調書中、員面は第一一回公判において、検面は第八回公判において、いずれも証拠として採用し取り調べたものであるが、当裁判所としては、すべての証拠調べが終了した段階において、双方の主張にかんがみ、その証拠能力を再検討した結果、右の結論に達したものである。

二  基本的事実関係

取調べずみの留置人出入要請書(写し)(武南警察署長作成の昭和六三年七月二〇日付「留置人の留置期間中における出入状況について」((回答))及び同年九月一六日付「留置人の留置期間中における出入状況について」と各題する書面添付のもの)、留置人出入簿(写し)(武南警察署留置主任官作成の同年一〇月三日付及び同月二八日付「留置人甲野(=被告人)の留置期間中における出入状況について」と各題する書面添付のもの)、「金井」作成名義の留置人名簿(写し)(ただし、以上については、留置人の留置場からの現実の出し入れ時刻に関する部分に限る。)、司法警察員及び検察官各作成の弁解録取書、裁判官の勾留質問調書、証人Dに対する当裁判所の尋問調書、証人E及び被告人の当公判廷における各供述、第三回公判調書中証人Bの供述部分などを総合すると、被告人が本件につき身柄の拘束及び取調べを受け、公訴提起されるに至った経過は、概ね次のとおりであったと認められる(なお、弁護人は、前記留置人出入要請書、留置人出入簿及び留置人名簿の各写しの証拠能力を争っているが、右各書面中少なくとも留置人の現実の出入れ時刻に関する部分が証拠能力を有すると認められることは、後記のとおりである。)。

1  被害者Aからの被害申告(昭和六二年一〇月一九日。以下、同年度の表示は省略する。)に基づき捜査を開始した埼玉県武南警察署は、捜査の結果、被告人及びBの両名を本件の犯人として特定し、両名に対する一一月三〇日付逮捕状(本件強姦未遂及びその際のAからの金一〇〇〇円の強取を被疑事実とするもの)の発付を得たのち、一二月四日午前七時頃、警察官四名で被告人の自宅に赴き、強姦未遂事件により調べる旨告げた上で武南署までの出頭を求めたところ、被告人がこれに応じたので、警察車両で署まで連行して直ちに取り調べを開始し、午前九時一〇分頃、右逮捕状を執行した。

2  被告人は、その翌日(一二月五日)勾留され、同月一四日勾留期間延長の決定を受けたのち、同月二四日本件強姦未遂の公訴事実により起訴された。

3  被告人に対する警察官、検察官の取調べは、一二月六日及び一一日ないし一三日の計四日を除き、同月一七日までほぼ連日行われたが、取調べ時間は、概ね、一日二、三時間程度で、特に長時間にわたることなく、また、被告人の健康状態にも不安はなかった。なお、一二月一八日以降は、公訴提起に至るまで、被告人に対する実質的な取調べはなされていない。

4  被告人は、当初、被疑事実を全面的に否認し、「女の子を車に乗せて話をしただけである。」との弁解をしたため、取調官に容易に取り合ってもらえず、警察官は、被害者Aの供述を前提として被告人を厳しく追及する一方、同月七日頃には、E警察官(以下、「E」又は「E刑事」ともいう。)が被告人に対し、「Bは執行猶予で、お前はダブル執行(いわゆる再度の執行猶予の意。)になる。」などと告げて、自白をしょうようした。その結果、被告人は、同月九日の同警察官の取調べにおいて、車内でのAとのやりとりに関し不利益事実を承認する供述調書の作成に応じ(任意性の争われている被告人の同日付供述調書によると、その概要は、「車内で肩に手をまわしてAに性交を求めた際、同女がいやだいやだと言って払いのけようとした手が強く顔に当ったので、頭に来て、肩を抱いている右手で同女の背中を二、三回殴りつけた上、更に性交を迫ったが、『下はだめ。上ならいい』と言うので、口淫させた。」というものである。)、同月一四日及び一七日のD検事の取調べにおいては、更に進んで、自白調書(被告人の検察官に対する供述調書二通によると、右は、被告人が、車内でAに性交を求める際すでに強姦の犯意を有していたことや車内で脅迫行為を行ったことをも認める趣旨のものである。)の作成に応じた。

以上のとおりである。

三  「ダブル執行になる。」旨告げて自白をしょうようしたとの事実の有無について

右のうち、E警察官が被告人に対し「Bは執行猶予、お前はダブル執行になる。」と言って自白をしょうようしたとの点について、被告人は、当公判廷において右と同旨の供述をしているのに対し、Eは、検察官の主尋問に対しては、「被告人がダブル執行になるということは全く口に出したことがない。」旨証言したが、その後、裁判官の補充尋問に対し、被告人との対話においてダブル執行ということが話題になったことを認め、ただ、「それは『移監の前の日』のことで、被告人からしつこくダブル執行にならないか聞かれたので、そういうことは有り得ないと言ったにすぎない。」旨供述している(なお、Eが、右「ダブル執行」という言葉を「ダブル執行猶予」、すなわち、いわゆる再度の執行猶予の意味で使っていたことは、同人自身も認めているし、同人の証言に現れた被告人との右のような会話の内容からも、明らかなところである。また、被告人の右供述に現れたEの言は、右文言の内容及びこれが自白しょうようの手段としてのものであること等からみて、被告人が、ダブル執行猶予すなわち再度の執行猶予に付せられるのが確実であるとの趣旨を含むものと理解すべきである。)。

しかし、被告人がE刑事に言われたという「ダブル執行」という言葉は、いわゆる警察用語であって(E証言速記録四七丁)、警察官同士の間ではよく使われるにしても、被告人のように、窃盗罪等による執行猶予付き懲役刑及び暴行罪による罰金刑の前科各一犯を有するとはいえ、刑事手続にそれほど精通していたとはみられない者の口から自然に出る言葉ではないから、被告人が、右のような特異で具体的な話を創作して供述したと考えるには、いささか無理がある。しかも、被告人は、同じことを、Bの取調べを担当したF刑事からも言われたと供述しているところ、当初本件の共犯者として逮捕・勾留されたBも、証人として、「逮捕された二日後に、F刑事から、『お前は猶予で奴はダブル執行だよ。』と言われた。」旨供述しているのである。ところで、Bは、被告人の永年の友人ではあるが、本件の事実関係について、後記のとおり、被告人に不利と思われる事実をかなり明確に供述しており、その立場上被告人とは一線を画そうとしている様子がその証言内容自体からも窺われるから、かかる立場にあるBが、右の点についてだけことさら被告人に有利な、事実に反する供述をしているとは考え難いというべきである。また、捜査当局が、共犯者の一名に対し執行猶予の話をして自白をしょうようしながら、頑強に否認する他の一名に対しその話をしないということは、通常考え難いことであって、これらの点からすると、「E刑事らから、ダブル執行(猶予)になる旨言われた。」という被告人の前記弁解は、これを虚構のものとして排斥することができないというべきである。

更に、右の話が出た時期についても、それまで事実を否認していた被告人が不利益事実を承認するようになる直前のことであったとする被告人の供述の方が、すでに供述調書の作成はおろか公訴提起の手続すら完了したのちであったという趣旨に帰するE証言よりはるかに自然であると認められる。従って、右の点に関するE証言は、B証言に裏付けられた被告人の供述に対比し、措信することができない。

四  右二、三を前提とした判断

そこで、以上の事実を前提として被告人の供述調書の任意性について判断するのに、そもそも、被告人に対し刑の執行を猶予するか否かということは、裁判所の権限に属することであって、警察官がそのような権限を有しないこと自体については、すでに公判審理を一度経験していた被告人において、これを知悉していたと認めるほかはない。従って、警察官において、ダブル執行猶予になる旨言って自白をしょうようしたからといって、それは、事件の見込みについて警察官なりの判断を示したというに止まるということもでき、いわゆる約束ないし利益誘導による自白の問題が生ずるわけではない。しかし、取調べを受ける被疑者にとっては起訴された場合に執行猶予に付せられるか否かは、当面の最大の関心事であって、専門家である捜査官から「執行猶予になる(のが確実である)」旨言われれば、そのように信じ込むのは、当然の心理であろうと思われる。そして、捜査官が、執行猶予に付せられる法律上又は事実上の可能性が全く又はほとんど存在しない被疑者に対し、一方において厳しく追及して自白を迫りながら、他方において、右事情を知りつつ執行猶予(再度の執行猶予を含む。)に付せられることが確実である旨示唆して自白をしょうようし、その結果被疑者を自白させた場合には、右自白は、前記のような被疑者の心理を巧妙に利用した偽計による自白というべきであって、他に特段の事情の認められない限り、原則としてその任意性に疑いをさしはさまざるを得ない(最高裁昭和四五年一一月二五日大法廷判決・刑集二四巻一二号一六七〇頁参照)。そして、本件においては、被疑事実が強姦未遂及び強盗という法定刑の重い重罪であって、前刑の事件との罪質のちがいや被害者の落度の点を考慮に容れても、いわゆる再度の執行猶予に付せられる可能性が事実上全く存在せず、E警察官もそのことを知悉していたとみられるのであるから(E証言参照)、本件は、まさに、その結果作成された自白調書の任意性に原則として疑いをさしはさむべき事案であるところ、同警察官作成の自白調書についてはもちろん、D検事作成の自白調書についても、自白の任意性を肯定すべき特段の事情は認められない(なお、D検事作成の自白調書については、その作成者が、偽計を弄した警察官とは立場を異にする検察官であること、同検事が警察官の前記言動を知りながらこれを利用したものではないこと、更には、同検事がこれを知らなかったことが職務上の義務を懈怠した結果であるとまでは認められないことなどに照らし、その任意性を肯定すべきであるとの見解もあり得ないではないが、当裁判所としては、検察官により、警察官の前記違法な言動による不当な影響を排除するための適切な手段が講じられない限り、検察官に対する自白についても、警察段階における違法がしゃ断されていないものとしてその証拠能力を否定すべきであり、前記の諸事情のみでは、任意性を肯定すべき特段の事情にはあたらないと解する。)。

五  結論

以上のとおりであって、本件においては、被告人の捜査官に対する前記各自白調書は、その任意性に疑いがあると認められ、これを証拠とすることができないから、証拠から排除することとする。

六  弁護人のその余の主張について

次に、弁護人は、〈1〉当裁判所が自白の任意性の判断資料とした前記留置人出入要請書、留置人出入簿、留置人名簿の各証拠能力を争い、また、〈2〉被告人の捜査官に対する前記各自白調書は、(任意性を欠くのみならず、)違法収集証拠として証拠能力を欠く旨主張しているところ、これらの主張は、当裁判所が、自白調書の任意性に疑いありとしてその証拠能力を否定した以上、独立に判断を示す実益を欠くものではあるが、弁護人の主張にかんがみ、以下簡単に、右の点に関する当裁判所の見解を示しておくこととする。

1  留置人名簿、留置人出入要請書及び留置人出入簿の各証拠能力について

証人原八郎、同金井良裕、同原渡及び同石井利夫の供述によれば、被告人が本件で留置された埼玉県武南警察署における各書面の作成手続は以下のとおりである。

まず、留置人名簿は、被疑者留置規則(昭和三二年八月二二日、国家公安委員会規則第四号)に基づき作成されるもので、被疑者が留置場に留置される場合の総括的な書面であり、特に最初の留置日時が記入される。捜査官が被疑者を留置しようとした場合には、予め被疑者氏名、逮捕日時、留置要請者等を書いた名簿用紙を留置主任官のところに持参し、次長及び署長の決裁を受けた上で、捜査官が連行した被疑者を留置場控え室で看守が受け取り、身体検査、所持品検査を実施したあと、被疑者を留置場に入れ、その際に留置日時を記入、押印する(もっとも、次長等の決裁はそのあとに受ける場合もある。)。そして、右名簿は被疑者が移監等で留置場から出た時点で、簿冊に編綴され、留置管理課に保管される。

次に、留置人出入簿は同じく被疑者留置規則に基づき作成される書面で、出入のあった留置人全員について、一日毎に、看守が出場順に留置人氏名、出場時間、連行場所等を記入して押印し、入場の際も時間を記入・押印する。翌朝、留置主任官らの決裁が行われ、一年毎に簿冊に編綴され、留置管理課で保管される。

留置出入要請書は、埼玉県被疑者留置細則(昭和五三年一一月二九日、警察本部訓令第二一号)に基づき作成される書面で、捜査官が留置人の出入を留置管理課に要請する際に、予め用紙に要請者の氏名、留置人氏名、連行場所等を記入し、捜査主任官の決裁を受けた上で、留置主任官に提出し、右留置主任官から受け取った看守が実際に被疑者を留置場から出場、入場させる際にその日時を記入して押印する。その後、留置主任官が決裁し、簿冊に編綴され、留置管理課に保管される。

以上のとおりである。これによると、右各書面は、権限ある行政機関が定めた規則に基づき、その定める手続に従って、被疑者の留置管理等の衝に当たる警察職員が必要に応じ作成するもので、右各書面中特に被疑者の留置場からの出し入れ時刻は、組織上捜査とは明確に区別された留置担当者(看守)が、出し入れの都度、機械的に正確に記載し、複数の上司の決裁を受けることとされていたものであって、武南署においては、現実にも、右の要領で記載されていたと認められ、右各書面の記載ないし体裁上、偽造ないし虚偽記入を疑わせるような不自然な状況は認められない(また、三種の書面は、その内容が相互に一致しており、そのことによっても記載の正確性が客観的に担保されている。)。そして、留置人名簿、留置人出入簿等に関する右のような所定の作成手続及び武南署における現実の記載方法、更にはその記載の体裁・内容等に照らすと、右各書面中少なくとも留置人の出し入れ時刻に関する部分は、信用性の情況的保障が特に強く、刑訴法三二三条二号所定の「業務の通常の過程において作成された書面」として、その証拠能力を肯定することができる。弁護人は、右各書面の記載の内容、現実の記載方法及び決裁の実情等に照らし、これが、同号所定の書面にあたることはあり得ない旨力説するが、その指摘にかかる諸点は、当裁判所の結論を左右するものではないと認められる。

2  違法収集証拠排除の主張について

弁護人が、被告人の自白調書を違法収集証拠として証拠から排除すべき事由として挙げるものは、これを大別すると、〈1〉警察官が違法な任意同行により被告人の身柄を連行し、実質上その時点で逮捕しながら、逮捕手続きを直ちに履践していないこと、〈2〉取調べにあたって黙秘権を告知していないこと、〈3〉「やむを得ない事由」がないのに、ある旨詐って、勾留延長請求を行いその決定を受けたことの三点に整理することができる。

そこで、まず、右〈1〉について検討すると、警察官による被告人の任意同行の方法は、前記二1認定のとおりであって、やや強引のきらいがないとはいえないが、右任意同行が直ちに逮捕と同視し得るものであるとは認め難く、特に、(1)被告人が、警察官の求めに応じて直ちに同行に応じており、これを拒否する意向を表明していないこと、(2)警察官は当時既に逮捕状の発付を受けており、同行の約二時間後には現実にも逮捕手続きを履践していること、(3)右同行にあたっては、警察官が、(厳密に被疑事実の要旨を告知したかどうかは別として、)強姦事件により同行を求めるものである事実は、これを告知していると認められることなどの事情に照らすと、右任意同行の手続に、少なくとも、その後に作成された自白調書の証拠能力を否定しなければならない程の重大な違法があったとはいえない。

なお、弁護人は、(ア)任意同行にあたっては、交通違反の件で出頭を求められただけであり、また、(イ)逮捕手続が履践された時刻も当日昼すぎ以降である旨主張し、被告人もこれに副う供述をしているが、(ア)は、Gの弁護人に対する供述調書の記載の内容と、また(イ)は前記留置人名簿等の書面の記載と明らかに抵触し、いずれも採用することができない。

次に、〈2〉について検討するのに、被告人の取調べを開始するにあたり、黙秘権告知が行われたことは、証人E、同Dの当公判廷における各供述並びに弁護人の同意のもとに取り調べられた各弁解録取書及び勾留質問調書の各記載に照らし、これを認めることができる。

更に、〈3〉について検討するのに、証拠によると、被告人に対する勾留が、一二月一四日、「被疑者・共犯者取り調べ未了、実況見分未了」を理由とする検察官の請求に基づき、一〇日間延長されたこと、しかるに、右勾留延長期間中に、捜査官によって行われたのは、検察官による被告人の取調べ(二回)、警察官による被告人の取調べ(一回)、及び警察官によるBの取調べ(一回)だけであって、実況見分は、結局行われなかったこと、被告人やBに対する取調べも一二月一七日までには完了し、その後二四日の公訴提起までは、特段の捜査が行われなかったことが明らかであり、延長後の勾留期間が果たして一〇日間も必要であったのか否かには、疑問の余地もないわけではないが、D検事も、当初、被告人による犯行再現の実況見分の必要性を認めていたのであり、同検事が裁判所を欺罔して不当な勾留延長決定を受けたわけではないこと、勾留延長請求の段階では、被告人と被害者の各供述の不一致点が多く、同検事が、取調べになお日時を要すると考えたことをあながち責められないことなどの諸点に照らすと、本件勾留延長請求及び同決定を、違法と断ずることはできない。

以上のとおりであって、違法収集証拠排除の理論を援用して自白調書の証拠能力を否定すべきであるとする弁護人の主張は、個々に検討すればもちろん、これを総合してみても、自白の証拠能力の否定に連なるような重大なものを含むとは認められない。従って、この点に関する弁護人の主張は、これを採用しない。

(事実認定の補足説明)

一  争点の所在

本件においては、Aが、被告人に暴行、脅迫を受けて強姦されそうになった旨供述するのに対し、被告人は、判示日時場所において同女に性交を求めたこと及びその際若干の有形力を行使した事実を認めながら、強姦の犯意及び脅迫行為を否認するとともに、有形力行使の程度・態様等につき、A証言と趣きを異にする供述をしているところ、弁護人は、A証言は信用性が全くなく、また、その他の状況証拠によっても被告人が同女を強姦しようとしたとは認定できず、被告人は無罪であると主張している。

そこで、以下、証拠上明らかに認められる事実を挙げたのち、被告人供述とA証言の信用性を、その他の証拠と併せ検討することとする。

二  基本的事実関係

本件公訴事実の成否に密接に関連する事項のうち、以下の諸事実は、被告人、A及びB等事件関係者の供述がほぼ一致し、関係証拠上、ほぼ間違いのないところと考えられる。

(1)被告人、B、Aの経歴等

被告人は高等学校卒業後、飲食店店員等として働き、ホストクラブにも勤めたことのある当時二五歳の青年であり、本件当時は無職であったが、既に婚約者(G)がいて、頻繁に逢っては情交関係を結んでいた。

Bは、被告人の中学校時代の同級生で、本件当時店員のアルバイトをしていた。高等学校卒業後、被告人とBの付き合いはしばらく途絶えていたが、本件の少し前頃から復活し、被告人はしばしばB宅を訪れて遊んでいた。また二人は、車で繰り出して女性を誘ういわゆるナンパ行為を一緒に何回か試みたことはあるが、これまでに成功したことはなかった。

Aは高等学校を中途退学後、事務員などをして、親元を離れ友人と暮らしていた当時一九歳の女性であり、既に数人の男性との性経験があった。

(2) 被告人とBがAを車に乗せ、本件現場に至るまでの経緯

昭和六二年一〇月一七日未明、Aは、友人のCと共に、前夜からナイトパブで飲酒したのち一キロメートル以上も歩き、埼玉県(以下、同県の表示は省略する。)蕨市塚越五丁目の塚越公園脇の車道に出て、走行して来る車に傘を振り回して合図を送っていた。

一方、前夜からB方で遊んでいた被告人とBは、同日午前一時過ぎ頃、被告人の運転する乗用車で外出することとし、午前一時三〇分頃、前記塚越公園脇を通りかかった際、Aらを見つけ車に乗るよう誘うと、Aらは二つ返事でこれに乗り込んだ。そしてまず、被告人らは、川口市方面に南進し、間もなくCを自宅に送り届けたが、その直後、被告人らがドライブに誘ったのに対しAが拒否しなかったため、以後三名は、意気投合して深夜のドライブをすることになり、Aも積極的にビリヤードに行こう等と提案したが、被告人らの所持金が少なかったこともあって、各自の出身高等学校などを廻る「高校巡り」をすることにまとまり、浦和市方面に北上して、浦和東高校、浦和学院高校を廻った。かくするうち、被告人及びBは、同女の右のような態度に接するうちに、次第に同女が性交に応じてくれるかもしれないという気になっていき、他方不安を感じたAは帰りたいような口吻をもらし始めたが、それほど強硬に言い出さないでいるうち、午前三時三〇分頃、車が真暗な本件現場(川口市差間の見沼用水脇空き地)を通りかかったため、被告人は、ここでAに性交を求めようと思い、車を停めた。

現場は、付近に住宅はあるが、用水路と木立に囲まれた真っ暗な空き地であり、また、当時はかなり激しい雨が降っていた。なお、当時のAの服装は、下着とパンティストッキングの上にブラウス、スカートを身につけ、ジャケットを羽織っていた。

(3) 現場における被告人、A、Bの行動

車を停めた被告人は、後部座席のAを一人残し、助手席のBを外に誘い出して、まず自分が先に口説きに行く旨示し合わせた上で、後部座席に入り、Aに性交を迫ったが、拒絶され、結局、性交にまでは至らなかった。

それに引き続き、Aは、被告人に求められるまま、その陰茎を口に含んで、口淫(いわゆるフェラチオ行為。以下、「口淫」という。)をした。その間、被告人はAの上半身を裸にして胸に触るなどし、Aの口中で射精したので、ティッシュペーパーをAに渡し、精液を吐き出させてから、車外に出た。以上、被告人とAが車内にいた一〇分余りの間、Bは数メートルないし一〇メートル離れた場所で待っていた。

被告人が車外に出ると、Bが、被告人と入れ替わる形で後部座席に乗り込み、Aに抱きつきかけたが、拒絶されたため、それ以上の行為には出なかった。Aは、Bが乗り込んだ時点で、既にかなり被告人に対する不快感を示していたが、その後、Bとやり取りする中で、ますます態度を硬化させ、被告人の身許を問いただしたり、知り合いのやくざに訴えるとまで言いだしたため、あわてたBは被告人と善後策を練り、とりあえずAの身許を確かめるため、そのバッグを改めたが、その際、Bは、独断で一〇〇〇円札一枚を盗み取った。

(4) その後の事情

被告人は、同日午前四時三〇分頃、車を運転して帰途についたが、暴力団との関係をほのめかすAの言動に恐れをなし、同女の家からはほど遠い川口市前川二丁目の路上で同女を降ろしたため、同女は約一時間も歩いて家に帰らなければならなかった。その後、Aは同月一九日に警察に出頭して被害届を提出し、更に、一二月四日告訴状を提出した。

三  被告人及びAの各供述の概要と被告人の供述の特色

1  A証言の概要

そこで、以下、被告人がAに性交を迫った際の状況に関する両名の各供述を対比検討することとするが、まず、A証言は以下のとおりである。

(1) 自分が後部座席左側に座っていると、被告人が、後部助手席側(左側)ドアから、「すごい雨だな。」と言いながら入って来て、私の上半身を両手で押し倒そうとしたが、私は車の上の取っ手を掴んで倒れなかったので、被告人は私の上をすり抜けて右側に座った。

(2) 被告人は、「殺されたいのか、静かにしろ。」と言った。

(3) 被告人は更に私を倒そうとしたが、私が倒れなかったので、約一〇秒間、両手で首を絞めてきた。息ができなくて、苦しくて、唾液がたまった。私は、「息ができない。」と言いながら、両手で被告人の手を振り払った。その後も何回か首を絞められた。

(4) 私が逃げ出そうとして被告人に背中を向けたときに、背中をげんこつで五、六回、力一杯殴られた。その後も私が暴れていたので、みぞおちを右手で一回殴られた。私は一層息ができなくなって、おとなしくなり、「こんなのってひどいんじゃない。」と抗議した。

(5) 被告人は、私が着ているブラウスの襟元を掴んで破いた。びりっと音がして生地が破れ、ボタンが弾け飛んだ。

(6) 私が、なおも応じないでいると、被告人は、「そんなんじゃ、やったって仕方がないから、どうしても下が嫌だったら、口でやれ。」と言ってきたが、私は、「それも嫌だ。」と言った。

(7) 私が、「どうせあなたのことをやっても、もう一人のほうも私がやらなきゃいけないんでしょ。」と聞くと、「いや、俺だけだよ。」と被告人が答えた。

(8) 被告人はズボンを脱ぎ、私の髪の毛を引っ張って、私の口に陰茎を含ませ、私の髪の毛を引っ張って、頭を動かした。

(9) 私は、やむなく、舌を使って被告人を射精させたが、その間に、被告人にブラウスのボタンを外されブラジャーも取られて、乳房を弄ばれた。

(10) 被告人は、後部運転席側ドアから降り、Bが同じドアから入れ替わりに乗り込んできた。

以上のとおりである。

2  被告人の供述の概要

これに対し、被告人の供述の要旨は、以下のとおりである。

(1) 自分は、後部助手席側ドアから入り、後部座席の中央やや右側に座っているAの左隣に座った。

(2) Aが、「どうしたの。」と聞いてきたので、「こういう風に車に乗ってきたんだからいいだろう。」と言いながら、Aの右肩を右手で抱き寄せる感じで引き寄せた。

(3) Aが「また冗談でしょう、嫌よ。」と言って、左手で自分の右手を上に払いのけたところ、その左手が自分の右頬に強く当たった。そのため、自分はかっとなって、「何するんだ。」と怒鳴り、Aの背中を、右の手のひら(正確には、右手をじゃんけんのグーとパーの間位にゆるく握り、その手のひらの部分)で三回ほど押し付けるようにして叩いた。

(4) それから、また抱き寄せながら、左手をスカートの中に入れようとしたが、Aが足を固く閉じて、「下は嫌だ。」と言ったので、「下が嫌だったら、じゃあ上だったらいいだろう。」と言った。Aが、「じゃあ上だったら。」と言ったので、ズボンとパンツを下ろして、頭を抱き寄せ陰茎を含んでもらった。Aは右手で陰茎を支え、頭を上下に動かした。

(5) 途中、一旦陰茎を口から離し、着衣を脱ぎ易い姿勢にした上で、ブラウスのボタンを外して脱がせ、ブラジャーも外してAの上半身を裸にしたことはあるが、その際、着衣が破れたりボタンが落ちたりしたかどうかは、気付いていない。

(6) 射精して、後部助手席側ドアから降りた。すると、Bが同じドアから入れ替わりに乗り込んで行った。

以上のとおりである。

3  被告人の供述の特色

右によって明らかなとおり、両名の各供述は、被告人がAのいる自動車内に乗り込んだ直後に同女に性交を求めたのに対し、同女がこれを拒絶したこと、その直後に、被告人が同女の身体に有形力を行使し、更に性交を求めたが、同女はやはりこれを拒絶したこと、その結果、被告人は、性交をあきらめて同女に口淫を求め、これを実行させたこと、右口淫の途中、被告人が同女の上半身を裸にして乳房を弄んだこと等の点でほぼ一致しているが、右有形力行使の程度・態様、脅迫文言の有無、ブラウスの破損及びボタンの脱落の有無、更には、被告人が車内でAのどちら側に座ったか等の点で、大きく趣きを異にしている。

ところで、A証言については、弁護人がその信用性を強く争っているので、のちに詳しく検討することとし、まず被告人の供述を前提にして考えてみることとする。

被告人は、右のとおり、Aに性交を求め、拒絶された直後に同女に有形力を行使し、その後更に性交を求めたが、同女が拒否するため、性交をあきらめて口淫をさせたという事実を認めながらも、右有形力行使が、強姦の犯意に基づくものではないこと、及び有形力行使の程度・態様が、A証言に現れたそれとは著しく異なり、同女の抵抗を困難にさせるようなものではなかったことなどを指摘して強姦未遂罪の成立を争う趣旨と考えられる。しかし、Aに性交を求めた被告人が、同女に拒絶された直後に有形力を行使し、更に性交を求めたという事実の経過を前提にする限り、右有形力の行使自体も、同女を性交に応じさせる手段としてのものではなかったかという強い推認の働くのは、やむを得ないところである。右の点につき、被告人は、Aの手が自分の頬に当たったため、かっとなって背中を叩いたにすぎず、右有形力の行使は、姦淫の意思に基づくものではない旨弁疏しているが、女性に肉体関係を求めた際、これを拒絶する同女の手が顔に当たったというだけで、直ちに立腹して有形力を行使するということ自体が不自然である上、逆に、かっとなって有形力を行使したにしては、その供述する有形力行使の程度は軽微にすぎるし、態様も不自然である。被告人の性交の求めを拒否したAが、被告人から有形力を行使された直後において、女性にとってそれ自体は何らの快感を伴わず、むしろ不快感、屈辱感を伴うことの多いとされる口淫に応じたという事実、更にはさしたる抵抗も見せずに、上半身の衣服をすべて脱がされ、乳房を弄ぶことをも許したという事実は、それまで頑強に性交を拒否していた態度とは相容れず、同女が、被告人の有形力の行使等により抵抗の気力を喪失させられたこと、換言すれば、右有形力の行使等が、同女の抵抗の気力を失わせるのに十分な程度に強力なものであったことを推認させるというべきである(なお、被告人は、前記のとおり、一方において、自己の有形力の行使につき、「手のひらで押し付けるようにして背中を叩いた」旨、これが軽微なものであったことを示唆する供述をしながら、他方において、Aがこれにより「痛みを感じたと思う。」という、やや矛盾した供述をもしているが、右後者の供述は、自己の有形力の行使が、それ程軽微なものではなかったことを、暗黙のうちに認めるものとも考えられる。)。このように、被告人の公判廷における弁解自体が、常識上にわかに納得し難い不合理な点を含み、むしろ、被告人が、姦淫の意思をもって有形力を行使し、その程度も同女の反抗を著しく困難にさせるものであったとの事実を前提とした方が理解し易く、間接的にではあるが、A証言の信用性を高める結果となっていることは、本件の重要な特色である。

四  A証言の信用性の検討

1  緒説

右のとおり、被告人の公判廷における供述中A証言と抵触する部分に、常識上にわかに納得し難い不合理な点の存することは明らかであるが、他方、弁護人は、A証言には、客観的証拠との矛盾・抵触、裏付証拠の欠如、内容の不合理性等その信用性を疑わせる種々の理由がある旨るる主張しているので、以下においては、右の指摘にかんがみ、同証言の信用性につき、やや立ち入った検討を加えることとする。

2  全体的考察

(1) A証言は、これを全体としてみると、自己の不注意な行動により、危うく被告人に姦淫されそうになったが、口淫に応ずるという条件で姦淫を免れ、初対面の男性に対する口淫という屈辱的な行動に応ぜざるを得なかった状況を、明確、かつ、具体的に、しかも、相当程度の率直さをもって語るものというべきであって、右供述自体の中にも、また、同女が被告人を告訴するに至った経緯等の中にも、その供述の信用性を根底から疑わせるような重大な問題点があるとは考えられない。

(2) 右供述内容自体については、のちに詳しく検討するので、しばらくこれを置くとし、ここでは、同女が被告人を警察に訴えるに至った経過についてみてみると、同女は、本件の二日後である昭和六二年一〇月一九日に、埼玉県武南警察署に出頭して被害を申告し、被告人らの氏名が判明したのちである一二月四日には、被告人及びBの両名を強姦未遂等の事実で告訴しているのであって、右告訴に至る同女の行動は、同女が本件直後から被告人に対し強い不快感を示していたこと等証拠上明らかな事実に照らし不自然なところは見当たらず、むしろ、同女がもし被告人から強姦されそうになったという訴えが虚構のものであるとするなら、何故に同女が右のような被害申告をするに至ったのか、その動機を合理的に理解し難くなる。弁護人は、Aが告訴した真意につき、「Aは、被告人の彼女への態度に憤慨すると同時に、やや強引にフェラチオというそれ自体女性には何の快感もない行為をさせられたことへの忿懣から本件告訴に至ったのであろう。」と推測しているが(弁論要旨三四頁)、同女が初対面の被告人の要求により、右のような屈辱的な行為に出ざるを得なかったということ自体が、その前提として、被告人の有形力の行使が、同女の反抗を著しく困難にさせる態様のものであった事実の推認に連なり得ることは前述のとおりであるし、また、弁護人自身、Aの右告訴の動機として右の程度の推測しかすることができないということは、同女が何らかの為にする動機により、ことさら虚構の供述をしているのではないかという疑いが極めて小さく、事実上無視し得る程度のものであることを示唆していると思われる(なお、弁護人は、Aが「金に困って示談金を目的として刑事告訴したということも考えられなくもない。」とも主張する〈同八六頁〉。しかし、Aが、誣告罪の危険を負担しつつ、事実無根の強姦未遂等の告訴するということは、同女にとっても重大な賭けである筈であり、もし単なる金欲しさの目的だけであるなら、暴力団に知人がいるという同女としては、その筋に手を廻す方が余程手取り早いことは何人にも明らかであるから、同女が何故に刑事告訴という迂遠な方法をとったのかについて、やはり合理的な説明ができない。)。

(3) もっとも、自己の不注意な行動によって窮地に陥った末、男性により姦淫されそうになり、不本意ながら口淫に応じさせられたAとすれば、自己が被告人によりいかに不当な扱いを受けたかを、誇張して訴えたいという心理の働くことは十分考えられる。従って、A証言の検討にあたっては、このような被害者としての同女の心理をも十分念頭に置く必要があることは、当然のことである。

3  客観的証拠との対比

(1) A証言については、〈1〉前記三1(3)(4)に関し、「被告人が、首の付け根の声帯の辺りを両手で力一杯押し付け、親指の爪が喉に食い込み、赤い跡が三週間か一ケ月位残った。」、「背中を殴られた所が内出血し、あざが三、四日以上残った」、「(これらの傷は)一〇月一九日に警察に行ったとき、警察官に話したし、見せもした。」とする部分につき客観的証拠の裏付けがなく、むしろ、警察官の証言と矛盾していること、〈2〉前記(5)のうち、ブラウスの破れの点はH警察官が作成した報告書添付の写真により確認することができず、また、右報告書の作成時期等にかんがみ、ブラウスのボタンの脱落の点についても確実な裏付けがないことなどが指摘されている。

(2) そこで、検討するのに、まず、右〈1〉について考えると、確かに、Aが供述する頸部や背部の傷あとについては、医師の診断書による裏付けは存在しないし、警察官による現認や写真撮影もなされた形跡がない。強姦の被害の申告を受けた警察官が、被害者の身体に暴行の痕跡を確認した場合に、何らの保存措置を採らないということは通常考えられないから、申告の時点で前記のような痕跡が残っていたというA証言は信用性に乏しく、このことは、両手で首を絞められたという証言自体の信用性をも疑わせるものであって、右の点からみても、同女が被害状況について少なくとも誇張して証言している疑いがあることは、これを否定することができない。

(3) 次に〈2〉の点について考えると、H作成の「強姦未遂、強盗被疑事件の被害時における被害者の着衣について」と題する報告書(以下、「H報告書」という。)添付写真7、8及び第三回公判調書添付の拡大写真によれば、被害当時Aが着用していたとされるブラウスの第一ボタンが取れていることが認められ、A証言は、少なくとも右の限度では、客観的証拠による裏付けを有するというべきである。もっとも、弁護人は、Aが右ブラウスを提出したのが被害申告の約一月後であったとするA証言は、右H報告書の作成日付(昭和六二年一二月一一日)とも符合して措信できるとし、ブラウスの提出が被害申告後一月以上もあとのことであったとすれば、右提出時のブラウスは、被害当時のままの状況であったという保証がないと主張している。しかし、ブラウスの任意提出を受けた警察官(H)は、右の任意提出及び領置の時期は、「被告人を検挙する前で、被害届提出の四日後位であった。」旨明言しており、右供述は、〈1〉一〇月二三日付の任意提出書が現に存在すること(H証言)、〈2〉捜査の通常の進展状況に合致する合理的なものであること、〈3〉被害者が、任意提出の時期について思いちがいをすることは、あり得ないことではないこと、〈4〉報告書の作成が遅れた理由に関するHの説明は、必ずしも不合理ではなく、これによれば、ブラウスの状況に関する報告書の作成日付が一二月一一日とされていることは、一〇月二三日にブラウスの提出を受けたとするH証言と抵触するものではないこと等に照らし、これを措信することができる。そうすると、右ブラウスの提出時期が被害申告の一月後位であったことを前提として、その破損状況が被害当時のものと異なる可能性があるとする弁護人の主張は、その前提を欠き採用することができない。

(4) なお、前記H報告書には、「ブラウスの五つあるボタンの一番上の部分が引きちぎられるように破れている」と記載され、証人として出廷したHは、「ブラウスは、かぎ裂きの様に二センチにわたって切れていた。」と証言しているところ、右報告書添付写真8及びそれを更に拡大した前掲拡大写真によっては、ブラウスの生地の破れを確実に認識することができない。捜査当局が、強姦未遂事件の重要な証拠物であるブラウスにつき、右のような不完全な報告書を作成しただけで、これを被害者に還付してしまったことは、捜査の重大な手落ちであるといわなければならないが、右拡大写真によれば、H・A証言にいう生地のかぎ裂きの存否を確認できないというに止まるのであって、右各証言が明らかに事実に反するとも断じ難い。右のとおり、ブラウスの生地のかぎ裂きを生じたとするA証言には、客観的証拠の裏付けのないことは明らかであるが、これと明らかに抵触するとまではいえないのみならず、かりに右ブラウスに現実にはかぎ裂きが生じていなかったとしても、Aが、ビリッと音がしてボタンが脱落した事実を、「ブラウスが破れた」旨誇大に表現することは、前記のような被害者の心理に照らしあり得ることであり、右のように述べたからといって、必ずしも同証言のその余の部分の信用性まで全面的に疑わなければならないものではないから、右の点は、いずれにしても、同証言の信用性を根底から疑わせるような重大な疑問を提起するものではない。

(5) 更に、弁護人は、A証言によれば、被告人は同女の髪の毛を持って頭を動かしたとされているが、もしそうであれば、車内に多量の毛髪が抜け落ちていなければならないのに、そのような証拠は収集されておらず、右証言は、客観的証拠の裏付けを欠くと主張するが、同女の供述するような方法で被告人が頭髪をつかんだとしても、必ずしも多量の毛髪が抜け落ちるとは考えられないから、右の点は、A証言の信用性に重大な影響を及ぼすものではないというべきである。

4  B証言との対比

(1) 次に、A証言を、当日被告人と行動を共にしていたBの証言と対比して検討してみることとする。まず、本件の核心部分についてのB証言は、以下のとおりである。

〈1〉 被告人が、後部助手席側ドアから車に乗り込むと、「何するの。」というAの多少きつい声がして、ドアが閉まった。

〈2〉 自分は、被告人らに気を遣い、車の左斜め後方数メートルの位置で、傘をさして被告人を待っていた。車を見ていたこともあったが、車のバウンド等特に変わったことには気付いていない。

〈3〉 一五分程して、被告人は後部運転席側のドアから出てきた。

〈4〉 そこで、入れ替わる形でそのドアから車内に入った。

〈5〉 Aは、ブラウスをくしゃくしゃにして、襟元を身繕っていた。

〈6〉 Aに抱きつこうとしたが、「あなたまでそんなことをするの。」と言われて抵抗されたため、やめた。

〈7〉 Aは、「お腹や背中を殴られた。」と言って、とても可哀相な感じだったので、慰めた。そして、Aは泣きだした。

〈8〉 Aは泣きやむと、知り合いのやくざに訴える等と言い出したため、まずいと思い、自分達もやくざなんだと嘘を言った。

〈9〉 自分が外に出ようとすると、「あの人が来るとまた殴られるから、出ないで。」と言われたので、少しとどまってから外へ出た。

以上のとおりである。

(2) Bは、被告人と中学校時代以来の友人で、中学校では、同じ野球部に所属し、高等学校は異なったが、バンド仲間として三年間親しく付き合い、同人の大学進学後交際が一時途絶えていたものの、昭和六二年二、三月ころから、再び付き合うようになり、かなりの頻度で(被告人の供述によれば週に二、三回位、Bの供述によれば、週一回又は月三回位)交遊していたものである。従って、同人が、いわゆる「親友」という表現が適当であるかどうかは別として、被告人のかなり親しい友人の一人であったことは動かし難い。もっとも、同人は、当初被告人との共犯関係を疑われて逮捕勾留されただけでなく、わずか一〇〇〇円の窃盗の事実により公訴を提起された挙げ句、Aに対し金一〇〇万円という高額の示談金を支払ってようやく執行猶予付きの判決を受けたものであって、かかる結果も、すべては被告人と付き合っていたが故であるとして、被告人に対し甚だ面白からざる感情を抱いている様子が窺われる(このことは、同人が、今後被告人とは付き合うつもりはない旨明言していることからも明らかである。)。しかし、いかにBが被告人に対し面白からざる感情を有しているにせよ、同人が、少年時代以来の永年の友人である被告人の刑事事件の証人として、右のような感情の故に、被告人をことさら罪に陥れるような虚構の証言をするとはにわかに考え難い。また、同人は、本件の純然たる第三者ではなく、共犯者的な性格をも有するので、その証言の評価については慎重を要するが、本件においては、同人は、最も決定的な場面において被告人と行動を共にしておらず、強姦未遂罪の共犯としても起訴されていないのであるから、自己の刑責の軽減を図るため、ことさら被告人に不利益な証言をする実益にも乏しい。特に、同人の証言中、被告人が、車のどちら側のドアから乗り込み、どちら側のドアから出てきたかとか、自分が車に入った際にも見聞したAの言動などは、同人の刑責とは全く関係のない中立的な事項であると認められるから、これらの点に関する同証言は、その信用性が特に高いと考えざるを得ない。

(3) 右の前提のもとに、A証言をB証言と対比してみると、まず、A証言は、被告人が左側のドアから入って来て、出る時は右側のドアから出たとする点でB証言により確実に支えられていることが注目される(これに対し、被告人は、左側のドアから入って左側から出たとするのであるが、右供述は、B・A両証言に照らし、措信することができないことになる。)。被告人が、車のどちら側から出たかは、一見するとささいなことのようにも思われるが、右は、車内において被告人がAとどのような位置関係で対峙していたか、更には、有形力行使の態様に関する両名の供述の合理性(いずれも、その供述する両名の位置関係を前提とした場合に、初めて合理的に理解し得る。すなわち、Aの「左側ドアから乗り込んできた被告人が、いきなり自分を押し倒そうとしたが自分が倒れなかったので、自分の上をすり抜けて右側に座った。」という前記三1(1)記載の特異な証言はもちろん、その後自己の右側に座っていた被告人から種々の暴行を受けたとする証言は、被告人が、車の右側から出たということを抜きにしては理解できないし、同様に、被告人の「右側に座っているAの右肩を右手で抱き寄せる感じで引き寄せた。」とか、「Aの左手が自分の右頬に当たったので、かっとなって、同女の背中を右の手のひらを押しつけるようにして叩いた。」とする前記三2(2)(3)の供述も、もし、被告人が同女の右側に座っていて車の右側のドアから出たことが事実であるとすると、その信用性を根底から疑わざるを得なくなる。)などと関連する重要な点なのであり、このような点において、A証言がB証言に確実に支えられる一方、被告人の供述が同証言と抵触していることは、採証上重要な意義を有すると考えざるを得ない。

(4) 次に、B証言中、被告人が車外に出た直後Bが乗り込んでAに性交を求めた際見聞した同女の様子、言動に関する部分(前記4(1)の〈5〉〈6〉〈7〉〈9〉)は、被告人から殴打、脅迫の上性交を求められたとするA証言を側面からではあるが強力に支えるものというべきである。なお、弁護人は、B証言中〈7〉〈9〉記載のAの言動を内容とする部分は伝聞証言であって、「被告人がAの腹部や背部を殴った」事実を立証する証拠としては、許容されず、前記〈7〉の「泣く」というAの動作も、非言語的供述であるから、同様であると主張しているので一言すると、右のうち、まず後者の点については、例えば質問に対して肯定の意味でうなずく等という、供述と同視し得る程度に明確な意味を有するものについて、それが誤って伝えられた場合の危険性に着目して、非言語的供述として例外的に伝聞法則の適用があると解されるところ、本件で問題とされている「泣く」という動作は、そもそもその趣旨が極めて多義的であり、到底供述と同視し得るほどの意味の明確性を持たないから、非言語的供述とみることはできず、伝聞法則の適用はないというべきである。また、前者の点については、右B証言それ自体により、「被告人がAの背部や腹部を殴打した。」との事実を認定しようとするときは、弁護人の非難も妥当しようが、本件においては、右B証言によって認定する事実は、「Aが、被害直後において被告人から背部や腹部を殴打された旨を第三者に泣きながら訴えていた。」との事実に止まり、ただ、右事実をもって、信用性の争われているAの被害状況に関する公判証言の信用性判断の一資料(いわゆる回復証拠)とするにすぎないのであるから、右B証言が、伝聞証拠として排斥されるべきものにあたらないことは、明らかであると考える。

(5) また、B証言中〈1〉の被告人が車内に入った際にAが「何するの。」と声を発したとする点も、被告人からいきなり押し倒されそうになったとするA証言を支え、被告人の供述と抵触するものといえよう。もっとも、弁護人は、A自身が自ら声を発したことを証言していないから、B証言はA証言とむしろ矛盾していると主張するが、「何するの。」という言葉は無意識的に発せられたものとみるのが自然であり、Aがこれを記憶していないことは何ら不自然ではないから、右主張は採用できない。

(6) また、弁護人は、Bが、車外で待っている間、「特に変わった様子も見えなかった。」とする点(前記〈2〉)は、車内で激しいもみ合いがあったとするA証言と矛盾すると主張するが、当時は、激しい降雨の続く深夜であった上、Bが、車で性交を求めようとしている被告人に遠慮して、車から数メートル(B証言)ないし一〇メートル(被告人供述)の距離を保ちつつ、傘をさしながらただボーッとしていただけであったことなどからすれば、視力が弱く当時眼鏡もかけていなかったというBが、車の微妙な振動に気付かなかったというのは何ら不自然ではなく、右B証言は、車内で被告人ともみ合ったとするA証言と抵触するものではない。

(7) このように、A証言は、信用性が高いと認められるB証言により重要な点で裏付けられ、あるいはこれにより側面から強力に支えられており、他方、同証言と抵触する部分を含んでいないのであるから、その証明力には、基本的に相当高度のものがあると認めざるを得ない。

5  A供述のその余の問題点について

(1) 不合理な変遷の存否

弁護人は、A供述については、〈1〉一〇月一九日付け被害届と一二月四日付け告訴状に、被告人から首を絞められたりみぞおちを殴打されたりしたことの記載がないこと、〈2〉首絞め行為から逃れた状況につき、自分で振りほどいたという供述と、被告人に助けを願ったとする供述があること、〈3〉捜査段階には、ブラウスの生地が破れたことを供述していないことなどの点で、不合理な変遷があると主張する。

しかし、〈1〉については、被害届や告訴状が被害の全容を網羅するものでないことは明らかであるし、〈2〉は混乱した状態でのことであり、不自然とまでいえないこと、〈3〉についても、いずれにせよブラウスの襟元でびりっと音がしたことについては一貫しており、いずれも不合理な変遷ということはできない。

(2) 供述内容の合理性

弁護人は、〈1〉車内に入ってきた被告人が、いきなりすごんで首を絞めるというのは、性交を目的としていたにしては不自然であり、また、〈2〉二回目以降の首絞め行為の時期・態様についての説明がないこと、〈3〉首絞め行為から逃れたAが、ドアをあけて車外に飛び出すことをしなかったこと、〈4〉首と背中に傷が残ったというのに、より強く殴打されたはずのみぞおちに痕跡が残らなかったということ、〈5〉髪の毛を引っ張って頭を動かされたとすることは、いずれも不合理、不自然であると主張する。

しかし、〈1〉については、A証言によっても、被告人は、車内に乗り込んできて直ちに首を絞めたというのではなく、性交を求めて押し倒そうとしたのに同女が倒れなかったため、脅迫・絞頸に及んだというのであって(前記三(1)(3)参照)、右供述に現れた状況は、幸運にも、初対面の女性との性交の機会を見出してはやり立つ若い男性(しかも、そのような場面に不慣れなため、自らも、女性を性交に誘う雰囲気作りを全く行わなかったことを認めている若い男性)の行動として、決して不自然であるとは認められない。もっとも、首を絞められた結果生じたとされる頸部の痕跡に関する裏付け証拠が全く存在しないことからみると、あるいは、被告人が供述するように、被告人が腕を肩に廻したか、あるいはせいぜい首に廻して抱き寄せたにすぎないのを、同女が誇張して、前記のように表現している疑いも、これを容れる余地がないとはいえないから、右の点の認定には、慎重を要するところである。次に、〈2〉について、Aは、そもそも、二回目以降の首絞め行為について、その詳細の説明を求められていないのであるから、右のような問題の提起自体が適当でないというべきであるし、〈3〉については、車内で一旦行動の自由を取り戻したとはいえ、屈強の若者二人に見守られる中で、しかも、激しい雨の降りしきる地理不案内な深夜の空地において、かりに同女が逃走を図ったとしても再び捕えられるのは必定であるから、同女があえて逃走を図らなかったのは、当時の置かれた状況に照らし決して不自然ではない。更に、〈4〉については、みぞおちのような身体の柔軟な部分は、殴打されても痕跡が残りにくいことが明らかであるから、みぞおちに痕跡が残らなかったとする同女の証言は何ら異とするに足りないし、〈5〉については、同女が、被告人に、頭髪とともに頭を押さえられたまま、これを上下させられた事実をやや誇大に表現していると解する余地があるから、右の点も、同証言の信用性に重大な疑いを提起するものではない。

五  総括

1  以上、詳細に検討したところによれば、被害状況に関するA証言は、その内容自体に不自然・不合理なところがない上、信用性が高いと認められるB証言によっても支えられており、また、ブラウスのボタンの脱落状況については物的証拠による裏付けも存するのに対し、被告人の供述中A証言と抵触する部分は、それ自体の中に不自然な点を含み、むしろ、被告人が、姦淫の意思をもって有形力を行使し、その程度も同女の反抗を著しく困難にさせるものであったとの事実を前提とした方が理解し易いものであることなどに照らすと、基本的には、相対立する二つの供述中A証言を措信すべきであるが、同証言の中には、一部客観的証拠による裏付けが欠いたり、事実を誇張して述べたのではないかとの疑いを招く部分が散見されることに照らし、暴行の態様については、慎重を期し万全を期する意味で、判示の限度の認定に止めるのが相当であると考える。

2  なお、以上の事実認定に関連して、一言説明を補足しておく。それは、被害者Aの被害状況に関する証言には、右のとおり、一部客観的証拠による裏付けが欠け、事実を誇張して述べたのではないかと疑われる部分の散見される点を採証上どの程度重視すべきか、ということについてである。A証言に、右のような疑問の生じたのは、もとはといえば、捜査官による捜査の遂行に種々の不手際があったことによると考えざるを得ない。右不手際については、すでに再々触れたが、Aから提出された着衣の破損状況に関する証拠の保全が甚だ不完全であったことは、とりわけ重要である。捜査官としては、密室内で一対一の状況で犯された本件犯行の特殊性にかんがみ、Aの供述の信用性を客観的に担保するため、同女から被害当時に着用していた着衣(ブラウス)の提出を受けた以上、これを仔細に観察して、破損状況に関する正確な図面を作成したり、その状況を確実に視認し得る写真を撮影したりして、証拠の保全に努めるべきことは当然であって、このような措置に出ることなく、前記H報告書のような不完全な書面を作成しただけで、これをAに還付してしまうなどということは、非常識も甚だしいといわなければならず、かかる杜撰な捜査を遂げた捜査機関に対しては、この際、猛省を促したい。弁護人は、検察官を含む捜査官側に、このような不手際が存し、その結果、A証言の一部につき確実な裏付けが欠けるに至った以上、同証言のその余の部分、特に本件の核心をなす被告人による有形力行使の程度・態様に関する部分についても、根本的な疑いをさしはさむべきであるとの主張をしているのであり、右主張がそれなりに説得力を有することは、これを率直に認めなければならない。ただ、しかし、本件においては、前述のとおり、被告人の被害者への言動に関する被告人の供述中被害者の供述と抵触する部分は、右両名が一致して供述するその余の部分との対比や信用性の高いと認められるB証言との対比等において、明らかに不合理であると考えられる一方、右の点に関するA証言は、B証言等にも支えられ基本的に信用性が高いと認められるのであるから、客観的証拠の保全等の面で捜査官側にいくつかの重大な不手際があり、その結果、A証言の重要でないとはいえない部分につき客観的証拠の裏付けが欠けるに至っているということから、直ちに同証言の信用性を全面的に疑うのは、やはり相当でないというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一七九条、一七七条前段に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条に則り未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用中、国選弁護人に支給した分の二分の一並びに証人A及び同Bに各支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、深夜友人と車を運転中、路上で傘を振って合図していた女性を乗車させて同女とドライブしていた被告人が、初対面であるにもかかわらず、同女が誘いに応じて長時間ドライブに応じたところから、同女が性交に応ずるかもしれないと考え、車中で同女にいどんだものの拒絶されたため、強いて同女を姦淫しようとして、判示のような暴行、脅迫を加えたが、結局未遂に終わったという事案であって、右のような行為が、女性の人格を無視するものとして、刑法上非難に値することは明らかであるのに、被告人は、不合理な弁解をくり返して罪を認めず、未だ被害者への謝罪すら行っていない。そして、右のような経緯の故に、被害者Aの被害感情には今なお根強いものがある。右の他、本件犯行当時被告人が、前刑(昭和六一年一月三一日宣告、窃盗、有印私文書偽造、同行使、詐欺罪、懲役一年六月、三年間執行猶予)の執行猶予期間中の身であったことなどにも照らすと、被告人に対しては、この際、懲役刑の実刑を科し、その猛省を促すことも、考慮に値する措置といわなければならない。

しかし、他方、本件については、深夜見ず知らずの被告人の車に、自ら希望して乗り込んだ上、連れの女性が下車したのちも、長時間ドライブを楽しんだ被害者Aの軽率極まる行動が、被告人の犯行を誘発したという面を軽視することができない。Aとすれば、相手が、比較的おとなしそうな若者の二人連れであることに気を許したのかもしれないが、右のような行動が、性的欲望の強い若い男性の気を惹くに十分なものであることは明らかなところであって、被告人が、右のような同女の行動にかんがみ、うまくすれば同女と性交することができるのではないかと考えるに至った点には、ある意味で無理からぬものがあったとさえ考えられる。もちろん、そうであるからといって、性交の求めに同女が応じないとみるや、暴力でこれに応じさせようとした被告人の態度は、非難されなければならないが、ことここに至る経緯に、右のような特殊な事情の存する本件においては、この点を量刑上相当程度考慮せざるを得ない。右の点のほか、本件においては、同女の堅い拒絶の姿勢にあって、被告人が比較的早い時期に姦淫の意思を放棄したため、姦淫自体は未遂に終わっており、暴行の態様も、身体に痕跡が残るほど強烈なものではなかったこと、姦淫に代るものとして応じさせられた口淫行為により、Aが相当の屈辱感を味わったことは事実と認められるが、本件は、あくまで強姦未遂罪として起訴された事案であって、同罪終了後に行われた強制わいせつ行為である口淫行為は、直接の審判の対象とされていないのであるから、右の点を、量刑上過当に重視するのは相当でないこと、被告人自身も、相当期間の身柄拘束と公判審理の経験により、刑事手続の厳しさを改めて実感するとともに、明言まではしないものの、やや強引に口淫に応じさせたことを含め、自己の軽率な行動を悔やんでいる様子が窺われること、現在の時点においては、罪質を異にする前刑の執行猶予期間も満了しており、執行猶予言渡しの法律上の障害は存在しないことなどの諸点を総合考察すると、被告人を、今直ちに懲役刑の実刑に処するのは相当ではなく、やや長期間ではあっても、その刑の執行を猶予するのが相当である。

よって、主文のとおり判決する。

(検察官 中原恒彦 弁護人 高野 隆)

(裁判長裁判官 木谷 明 裁判官 木村博貴 裁判官 水野智幸)

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